「ここからみると良いわよ〜!」
雅子さんの声が弾みます。
とある5月の日曜日、花咲き乱れるお庭にお邪魔しました。
最初に感じたのは、とても美しいのに、つくり上げた感じのしない自然体の庭ということ。
どうしたらこんな居心地の良い庭がつくれるのでしょう?
雅子さんが、庭の中に無数に存在するお気に入りのビューポイントを教えてくださいました。
奥に見える山、遠くの屋根、木立、遠くの花、そして近くの花。
目のフォーカスを切り替えながら、庭を愛でるのだそう。
「買ってきた花もあるけど、その土地で咲く花の方が気候に合っているから育てやすいの」と楽しそうに話す雅子さんは、結婚して子育てをして、一段落した頃からこの庭を始めたのでした。
52歳、夫もまだ現役で忙しく、ふと「私何しようかな」と自分と向き合う時間が持てたのがきっかけ。
まだ身体も充分動くし、何かができそう。
「やったことないことをやってみよう!」そう考えた雅子さんは、畑だったところを庭に作り変えようと思い立ちます。
とはいえ、庭がすぐに出来上がったわけではありません。20年ほど経った今でも庭は進行形。
「充分と思ったことがないのよ」
そう話しながら、「今年は藤の花芽を切りすぎちゃって失敗」とか、「ここは孫が登るからすぐ倒れちゃう」とか、笑って話しながら案内してくださいました。
この季節の朝は早く、「4時半に起きて、今日は何をしようかなと考えて動き出すの。その時間の空気感が好き」これが初夏の雅子さんの日課。
早朝の庭を歩き、朝露に光る花を愛でながら、何を欲しがっているのか、何をしたらいいか、そのようすをじっくりと観察するそうです。
移植した場合は、もともとどんな場所に生えていたかよく観ておいて、環境の方を近づけたりもします。
半日陰が好きなのか、日向が好きなのか、何事においても「観る」ことが大事と教えてくださいました。
「どの花が好きですか?」という質問をわたしは飲み込み、代わりに「どの花にも目を向けられるんですね」と声をかけてみました。
すると「そうなの。どの花にも味わいがある」という答え。
ハクロニシキ、パンパグラス、サンザシ、アグロステンマー、ジャーマンアイリス、チドリソウ、ユキアカリ、アイスバーグ…ほんの片隅だけでも多くの名前があがります。
それぞれの花に生きる場所がある。「花も人も同じ、適材適所なのよ」の談。
「あそこのエンジ色のパンジーが効いてると思わない?」
グリーンの中、ところどころ引き締めるかのような、濃い色の花や赤っぽい色の葉の植物が植わっています。赤やエンジ色、濃い紫などをどこに置くか、考えるのが本当に楽しそう。
作り手であり鑑賞者でもある彼女の「観る」という行為の行ったり来たりが、庭での過ごし方の醍醐味なのではないかとふと思いました。
近所の子どもたちも遊びに来る庭
丹精込めた庭は多くの人に愛され、季節ごとに訪れる人を迎え入れています。
「ほめられるのも嬉しいけど、自分の気持ちがゆったりできるのが一番」。
美しいけど気取っていない庭には、心地良い空気が流れています。
「自分の遊べる庭を作りたかった」と話す雅子さん。
「庭をやっていると結構忙しいのよ。草のストレスがすごいの(笑)。そういう苦しみもあるけど、台風でダメになっても、何度でもやり直せるのも魅力。人生と同じ!」とにっこり。
庭がすべてを教えてくれる、そう感じられた初夏のひとときでした。
ききて:小堀幸子/写真:小林信彦