ちいきの学校

2020.10.31

第3回しろうと先生 坪井さんインタビュー「いいかげんが良い加減♪」

いいかげんが良い加減♪

55歳で転身! 目指すのは、みんなでつくる心地良い地域

坪井さん(保護司/民生委員)
坪井さんはたとえるなら「つなぐ人」だ。しなやかな考え方で、ひょいと人助けするし、すぐ実行、所属する団体も仲間も多い。しかもそんな活動の中で学びを大切にされている。
企業を早期退職されてから家族の介護を経て資格を取り、その後は地域の役を引き受け、ボランティアにも忙しい。近所の小学校で定期的に読み聞かせをしたり、放課後の子どもの居場所づくりに奔走したり、民生委員として一人暮らしのお年寄りを訪ねたり、保護司として刑務所も訪問する。月に3回電話相談もされている。そのエネルギーの源とは…?
−今のような活動をされるきっかけは?
「夫の親の介護がなければ、定年まで会社で働く予定でした。」坪井さんは若い時から民間企業で働いた経験を持つ。55歳の時に義理のお父様が倒れ、リハビリ施設を利用しながらの介護生活を助けるべく早期退職した。そこからは毎日のようにリハビリ施設を訪ねる生活に。そこでの人との出会いを通じて福祉の仕事に興味を持ち、ヘルパー1級を取って3年ほど訪問介護の仕事にもチャレンジした。訪問介護では、精神疾患を抱える障害者のケアを経験。精神障害のある方との会話の仕方や傾聴、カウンセリングについて学んだ。さらに同時期に民生委員の仕事も引き受けた。企業に働いていた頃には考えられなかった時間の使い方である。生活の大半を会社に捧げていたことを思うと、何でもやれると思ったという。
坪井さんが企業にいた時期は、女性が活躍し始める時代ではあったが、まだその数は少数だった。現役時代はボランティアなどやったことがなかったと苦笑するが、一人前として認められたいと仕事に打ち込む情熱は、今の時代の女性より熱量が多かったはず。そんな中で培ったスキルは、思わぬ早期退職によって地域にもたらされた。
 
−いくつもの活動をされていて大変ではないのですか?
良い意味で「いいかげん」なんです私(笑)。「やって」って言われるのに弱くて、すぐ「はいよ」ってやっちゃう。役とかも推薦されたら「嫌だ」と言えない。
民生委員やってないと、一人暮らしのお年寄りや虐待の疑いのあるお宅を訪ねるなんてできない。「見てられないんですよね。放っておけない。」そうは言っても、すぐに入れることなど稀で、信用してもらうまでにはじっくりとつき合う時間が必要だ。「たくさん作っちゃったから食べて」っておかずを持って行ったり、まめに声かけたりしてつながりを作る。つながりができて初めてS O Sを聞けるようになる。
放課後の子どもの居場所「子ども広場」では、大学生を巻き込んで勉強を見てもらったり、指導員と連携して子ども達を見守る活動を行ったりしている。「わたしは指導員じゃないから共感するのみ。責任ないから適当な返事しちゃうの(笑)」と屈託なく笑うが、受け止める存在は子ども達にとって重要だ。甘えて膝に乗ってくる子どもの話を聞く坪井さんの様子が目に浮かぶ。
今は中高年のひきこもりが意外に多いことにも心を砕く。何とか地域に居場所を作れないものだろうか?それには「地域のことは地域でやる!みんなの協働が必要」と考えている。
−「みんなの協働が必要」と思われる理由は何ですか?
民生委員はかつて65歳以下でなり、70歳前後で退く仕組みだったが、近年なり手の不足で定年を80歳に引き上げるほど。地域の担い手不足は深刻な課題だ。地域に住む一人ひとりの力が本当に重要で、助け合えたらどんなに素晴らしいかと考えている。
目の前の課題として、中高年のひきこもりとその親の問題、買い物が難しい高齢者、居場所のない子どもの存在に胸を痛める。「いつでも来て良いよ」と言える場所が欲しい。地域のことを地域で解決できるように、情報が伝わる仕組みがあれば…。
「みんなでつくる心地良い地域」を目指す坪井さんの確かな情熱に、わたし達も何か一緒にしたいという気持ちに駆られた。時間はかかる。だからこそ過程を楽しみながら、良い加減の「いいかげん」で長く続けたい。そこが坪井さんの極意であり秘訣なのだ。

ききて:小堀幸子/写真:小林信彦

 

「しろうと先生」とは