ちいきの学校

2022.9.30

ライター講座その後

7名の作品が集まりました!

8月10日のライター講座から1ヶ月半、受講者の中から7名の方が文章を寄せてくださいました。あずさんが丁寧に添削し、それを受けてさらに文章を推敲し、できた7篇のストーリー。添削を受けて文章が劇的に変わった人もいます。これをきっかけにブログを始めた人も…。それぞれの世界観をお楽しみください。

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再会した私のお菓子たち

佐藤朱実

 自宅にて趣味のお菓子屋を始めて、間もなく1年4か月になる。庭に掘っ建て小屋を仲間と一緒に建て、細々と始めたお菓子屋だ。決して繁盛はしていないが、徐々に口コミでお得意様がつき、遠方からのお客様も珍しくなくなった。

 そんな中、いつものように、お菓子屋を開けて待っていると、私の友達Iさんの友達だと言うYさんが来て、数種類のお菓子をたくさん買って行ってくれた。よくある光景だ。

 そして、また別の日、今度は、私の友達Hさんが来て、同じようにたくさんのお菓子を買って行った。

 それから1か月経った頃だろうか…、最初にお菓子を買って行ったYさんと私の共通の友達Iさんに会った。すると驚くことを言い出したのである。

 Hさんは、買って行ったお菓子を、自分の姉にプレゼントした。その姉は、妹にもらった私のお菓子をお土産にと行きつけの美容室に持って行った。

 なんと、そこで、お茶うけに出されたのが、まさしく、私のお菓子だったのだ。

 そう、その美容室の店主こそが、先の私の友達Iさんの友達だと言うYさんだったのである。

 なんという偶然があるのだろうか。私のお菓子屋から、遠く離れた場所で、私のお菓子たちが遭遇した。どちらも全く関係なく買われて行ったお菓子たちなのに、遥か彼方の町で、偶然にも再会したのである。

 友達 Iさんも、そのことを、嬉しそうに話していた。私もちょっとこそばゆい気はしたが、心の奥で、拍手が止まらなかった。

 そんなことがあってからも、相変わらず、心を込めて、お菓子を作り続けている。

 

 

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ネパール人は「ありがとう」を言わない?

こぼたん

 インスタグラムのネタに、世界の「ありがとう」を集めてみようと思ったのは、今いる場所が「有賀町(ありがちょう)」で、そこにかけた駄洒落の思いつきだった。欧米や中国、韓国の「ありがとう」はみんな知っているしなぁ……。『ゴールデンカムイ』の漫画が流行っていることだし、アイヌ語から始めることにした。「ありがとう」を集めることは簡単だと思っていた。が、最初からつまずいた。調べるとすぐに出てくる「イヤィラィケレ」は日本語でいうと、かなり改まった「ありがとうございます」なのだ。気軽な「ありがとう」は「ヒオーイオイ」の方がニュアンスが近い。迷って「ヒオーイオイ」を採用する。

 アイヌの次は、ポリネシア。どこからどこまでがポリネシアなのか調べるところから着手する。そもそも「ポリネシア」の意味は「多くの島々」。ハワイ、タヒチ、イースター、トンガ、サモア、フィジー、ニュージーランドまでが含まれるそうだ。言語も様々。何時間もかけて調べ、なんとかまとまった。こんなに苦労するとは思わなかった。次は楽をしたい。そうだ。後輩のサンちゃんの生まれ故郷ネパールにしよう。困ったら彼女にきけばいい。彼女は今年、わたしの勤める特別養護老人ホームに入ってきた新人で、ピカピカの介護福祉士だ。料理が得意で、ときどき故郷の料理をふるまってくれる。彼女のつくる水餃子もカレーもとても美味しい。

まずは下調べとしてネットでネパール語の「ありがとう」を調べてみる。すぐに「ダンネバード」という言葉がヒットする。でもその後に出てきたネパールに住む日本人が書くブログに「ダンネバード」はかなり改まった言い方だと書いてある。気軽なシーンは英語で「サンキュー」と言った方が自然らしい。さらに、ネパール人から見ると、日本人はお礼を言い過ぎと感じているかもしれないとも。ネパール人が母国語でお礼を言わない、というわけではない。しかし頻度は日本とは異なるらしい。

「なぜだ?」

わたしはサンちゃんとの会話を思い起こしてみた。彼女は日本人以上に礼儀正しい印象がある。もちろん綺麗な日本語を話すからでもあるのだが、初対面の人にも心の温かさが伝わるような人だ。

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 先日、近所の知り合いの男性がわたしを訪ねてきて、ちょうど遊びに来ていたサンちゃんと出会った。二言三言交わしただけですっかり打ち解け、知り合い曰く「日本人以上に心が通じる」状態だった。その時、サンちゃんはこう言った。

「ハート トゥ ハート コネクション」

そして笑顔。仲良くなるのに「言葉」なんていらないと言われた気がした。みんなで「ハート トゥ ハート コネクション」と言ってみた。

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ブログを読み進めると、こんなことが書いてあった。ネパール人は「ありがとう」を言わないわけではない。でも助け合うのが当たり前だから、いちいち「ありがとう」をいうのは水くさい、という感覚があるのだ、と。

 

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塀越しのおしゃべり

どこかの直美

 築60年の家を買ってしまった。ご時勢のせいだけとは言わないが、生業であるガラス造形の仕事のペースは落ちっぱなしである。それに比例して出来た自由時間に夫婦二人でセルフリノベーションする計画だ。結婚してから3回目3か所目の大工事は予想以上に暇だったために着々と進行した。

 さて、見知らぬ新参者ははじめの挨拶が大事であることは十分理解している。だから工事に着手した日、庭の奥のブロック塀越しに見えた薄紫のフワッとした頭髪に迷わず声をかけた。「こんにちは、はじめまして」ポカンとする女性に自分たちの事、この家を買った事、これからの計画など一息に説明する。

「私聞いてないけど、ケンちゃんは来てるの?ケンちゃんが売ったって事?」こちらも塀越しにポカンとする。どうやらケンちゃんとは私たちに家を売った元家主ことで彼女は叔母だという。それこそ私も聞いてない。とりあえずその日は話を切り上げて用意しておいた私たちのプロフィールや連絡先、今後の計画をプリントした紙と自作の一輪挿しを渡す。これがあれば家人にも説明しやすはずだ。

 翌日からも薄紫の頭が見えるたびにブロック塀へ駆け寄って「こんにちは」と鬱陶しいほどに声をかけ続ける。前回の話が飛んでいたり、満開の梅の木の下で「見事ですね」とほめれば「こんな木あるの知らなかった」と返されたり「昨日はあなたのお父さんが来てたのね」と言われ、もしや10年以上前に他界した父が見に来たかとギョッとしたり。

 それでも概ねニコニコと笑顔で会話してくれるようになり、彼女が洗濯物を外に干さない日が寂しいと思うくらいになっていた。

 そんな塀越しのおしゃべりも1年継続したことになる。改装のほぼ終了した古民家は私たちにとって暮らしてみたいと思うほど居心地が良く、引っ越ししてこようという結論に至った。今に始まったことではないが、こういう私たちの計画変更を高齢者に理解させるのは案外大変なのだ。写真まで郵送して細かく説明してきた実母でさえ未だ私たちの今の生活を解っていないのだから。

 引っ越ししてくるには私の仕事場が必要だ。そこで5坪のユニットハウスなるものを隣の家の塀からすぐの場所に置くことにした。当然おしゃべりをするスペースは確保して。

工事には音を伴うし、この場合は図面を持って玄関から説明に伺うべきだろう。呼べば出て来てくれるほどの距離なのに玄関は遠い。いっそ脚立で塀を乗り越えたくなるほどだ。そうもいかないので5分ほど歩いて玄関口へ回り込んでインターフォンを押した。お年のわりに耳の良い彼女はすぐに出て来てくれた。が「どなた?」の一点張りでマスクを取ろうが再び持参したガラスのコップを見せようが「塀の向こうってケンちゃんの家のこと言ってるの?」

 薄々感じていたがハッキリと私の存在を否定され途方に暮れる。そこへ救いの孫らしき男性が出てきて私の話は理解された。聞きもしないのに「何かあったら僕に電話してください」と携帯番号を教えられたところを見ると、何かがある可能性があるということか。

そうだ、わたしも毎回リセットすることにしよう。次に会った時に彼女がポカンとしていたら家を買ったガラス屋である事を説明しよう。暑いとか寒いとか花が咲いたとか実がなったとか楽しい話はいくらでもある。

 

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酸っぱさのおかわり

早津順生

 夏になると我が家の食卓にはあるフルーツが並ぶ。それはグレープフルーツである。

我が家ではグレープフルーツ、レモンが柑橘系の果物の代表となっていて盛り上がる。私はグレープフルーツが特に好きで、いつも家族の中で一番多く食べている。赤や半透明の果肉など種類がいくつかあり面白い。あの酸っぱさが病みつきになり、何度食べても忘れることのない幸せな時間が続く。

 ある日のこと、食卓にいつも通りグレープフルーツがでると私の箸が動く。止まらない箸は次々とグレープフルーツをとらえていた。夕食が終わり私は満足していた。

しかし、いただきますからごちそうさまを思い返すと、今日グレープフルーツを食べたのは私だけだった。家族は自分が好きだからえて言わなかったのだろうか。

この日の夕食は罪悪感で満ちていた。一日に食べれる食事の量は決まっている。もちろん食卓に並ぶ量もその日で決まっている。なるべくみんなが同じ量を食べられるよう分けたりしているのに、この日に限ってそれを意識することもなく平らげてしまった。

もし非常時だったときを思うと恐ろしい。食べ物が限られているときに自分の私利私欲で食べるのはよくない。

もっと周りを見てみんなが食べられるようにしたい。

この日はグレープフルーツの酸っぱさに続いて罪悪感、反省・・・いろいろな感情の酸っぱさを感じた。

 

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アフリカのお面

珠世

 前の晩から明日は絶対かわいいお皿を買うと決めていた。最近、ごはんを美味しいと感じるのには味覚だけじゃなく視覚もかなり大きな役割を果たしていることに気づいた。かわいいお皿に乗せるだけで2倍は美味しく感じる。

 朝、「サザコーヒー」で検索をかけた。数年前に母に連れられて行った店舗には、かわいい雑貨がたくさん置いてあった覚えがある。

ひたちなか本店!これだ!

車で40分。お皿を想えばあっというまだ。

 最寄りである勝田の駅前は道沿いに飲み屋がたくさん並んでいて、いつか飲み歩いてみたい街である。少し離れたパーキングに車を停めて、店の方へ歩き出すと魚のいい匂いがする。なんと店の目の前の駐車場でおじいさんが魚を焼いている。その横では小さな水槽で10匹くらいの鮎が泳いでいた。ん〜ミスマッチ。でも好き。

 ここだ!現在の「サザコーヒー」には記憶のとおり雑貨とお菓子、珈琲関連のものがずらーっと並んでいる。しばらく店内を回って1枚のお皿を持ち帰ることに決めた。こげ茶のグラデーションのようなまだらのような模様の大きいプレート。とってもかわいい。

 せっかく来たし、ここでお茶にすることにした。混んでいたようで奥の部屋に通される。案内された椅子に座り、おすすめを教えてもらいメニューを見る。迷いつつも前回母と食べたポークシチューに決める。ドリンクはカフェモカ。注文が終わり、一息ついて部屋を見渡すとブワッとした。壁という壁に大きな木のお面が飾られているのだ。しかもどれも怖い顔をしている。でも私がブワッとしたのはお面が怖かったからではない。このお面が見覚えのあるものだったからだ。

 私のバイブルは『動物のお医者さん』という漫画で、ざっくりいうと北海道の大学で主人公がいろんな変な大人にあーだこーだ言われながら獣医を目指す話だ。この変な大人の一人が漆原教授である。教授は獣医学に関しては博学ですばらしい技術を持っているが、性格は難ありの変態だ。しかし何故か人を惹きつける魅力を持つ人でもある。この漆原教授の趣味、それがアフリカのお面の収集である。

そう!そのお面が!サザコーヒーひたちなか本店に飾られていたのだ!!

もうテンションが上がってしょうがない。口を尖らせたり目を見開いたりしている個性豊かなお面を見ながら漆原教授に想いを馳せる。教授がこのお面に取り憑かれていたのがわかる気がした。

 お面に見守られながらポークシチューとカフェモカをいただく。かっこつけて持参した夏目漱石の『吾輩は猫である』を少し読んだ。会計の時、店員さんにお面と漆原教授のことを上がりきったテンションのままに聞かせてしまった。

 

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だからいじめはなくならない

~足元に広がる小さな世界~

pripin

うだるような暑さの中、私は庭を歩いていた。照りつける太陽から逃げるように背を丸め、視線は足元へと向けられている。その視線に、黒い何かが映り込む。

「蟻だ」とすぐに分かった。

列をなしてどこかに向かっているらしい。暑さを忘れて目的地を追ってみると、辿り着いたのは大きな巣。中から蟻が出たり入ったりを繰り返しているのが確認できた。餌を運んでいるわけではないと理解し、もう一度反対方向の行列を追った。卵を運んでいる蟻がいる。加えて、なんだか慌ただしい。彼らは引っ越し中なのかと思い、元の住処を探した。引っ越し先から遠く離れた庭の端。そこが彼らの古い巣のようであった。てっきり他の生き物に巣を襲われ、引っ越しを余儀なくされたのだろうと考えていたが、その様子は見受けられなかった。巣は立派な形を留めて残っている。

ではなぜ、彼らは引っ越しをするのか。

しばらく観察していると、大きな蟻と小さな蟻がいることがわかった。慌ただしいのは小さな蟻。巣からどんどん出てきて、引っ越しを急いでいる様子が見てとれる。その中に混じって、巣の中に入ろうとしているのが大きな蟻。彼らは何の用があって他の巣へとやって来るのか。観察を中断し、涼しく冷えた室内でスマートフォンをいじる。「蟻 引っ越し なぜ」と検索ワードを入力すると、気になる記事が引っかかった。

“サムライアリの奴隷狩り”

頭に?マークを浮かべたまま記事をクリックすると、そこにはサムライアリという種類の蟻が、別種の蟻から幼虫やサナギを奪い、奴隷として働かせるという習性についての記載があった。自分たちは一切働かず、生活は全て別種の蟻任せ。蟻の世界にも「奴隷」というしくみが存在することを知り、私は複雑な気持ちになった。

人間は知恵を持って生活を豊かにし、自由な感情をもって心を豊かにしてきた。しかし、人類の平等を謳いながら、裏で差別や格差に苦しむ人がいる。学校で起こるイジメもそのひとつ。イジメをなくそうと大人は言い、イジメは駄目だと教わって子どもは大きくなる。

それでもイジメはなくならない。

ただひたすらに今を生きる蟻の世界でさえ、弱者は弱者。そしてそれを利用する強者がいる。それなのに、見栄や猜疑心でいっぱいの私たち人間に、平等な世界を生み出すことが果たしてできるのだろうか。

小さな蟻の世界から、この世界の悲しい構造を見せつけられ、私は複雑な気持ちのままスマートフォンを閉じた。

 

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河童のはにわ

 我が家には河童のはにわがある。ぼーっとした顔をして、首をかしげて日当たりのよすぎる窓際に陣取っている。買い物で迷う時、課題が進まない時、本棚から一冊を選ぶ時、私は気が付くとこの河童のことを思い出している。

 ある日たまたま立ち寄った歴史館で、イベントが行われていた。はにわ販売のブースにはたくさんの種類のはにわがあった。ゲームソフト「どうぶつの森」シリーズは自由に町を開拓するもので、置物として様々な種類のはにわが登場する。私はゲームの中でしか見たことがないはにわを間近で見ることができたのがうれしく、時間を目一杯使ってはにわを選ぶことにした。あと数分でここを出なくてはいけないとなった時、私はとうとう河童のはにわを選んだ。その日かばんには河童という本が入っていたことを思い出したからだ。

河童のはにわは、びっくりする速さで我が家になじんだ。真夏日に買ったさらさらに乾いている河童、見れば見るほど何も考えていないような顔をしている河童、買うときに友人にどちらにしようかなを歌わせてまで決めかねた、私の優柔不断さを表している河童……。我が家に来るきっかけになった本のことやゲームのことは、なぜかその後の印象にはあまり残っていない。猛暑日に河童をにらむこともあれば、爪で叩くと高くて涼しい音が鳴るのに気が付いて喜ぶこともあった。私の中では夏の印象が付いてしまったようである。それでも冬になったら、河童はまた違った意味を持つものになるだろうと思う。河童は冬にも冬の顔を見せることだろう。

私が大して迷わなくなれば、この顔を何も考えていなさそうだとか、ぼーっとしているとか思うこともなくなるのだろうか。それはさみしいことのような、全くあり得ないことのような気がする。むしろ、河童が来てから迷うことが増えたのではないかとさえ思う。自分が何か迷うたびに頭の中で河童が迷っているのだと気が付くと、心安らかに悩めるというものだ。「これを選ぶときにも悩んだ」「この本を選ぶときなんて2時間くらいかけた」というように、優柔不断は私の楽しみにもなってしまった。

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講師:山本 梓(やまもと・あずさ)

編集者/話を聞く人 /ときどきチーママ

雑誌の編集を経て、 独立。この7月に 書きためたブログ を1冊にまとめた 『プンニャラペン』 を発行。

『プンニャラペン』通販ページ https://fumimushi.thebase.in

ブログ https://note.com/jamamotocapisa

 

まとめ:小堀幸子

写真:細川夏津稀ほか