ちいきの学校

2022.6.16

第9回しろうと先生 和子さんインタビュー「着物で街を歩き、結城の魅力伝える」

着物で街を歩き、結城の魅力伝える

和子さん(結城市)

 

気楽に着物を楽しみたい

 2年ほど前、和子さんが思いたって近しい人たちに呼びかけたところ、6〜7人が集まり楽しい会が発足した。その名も「着物でふれあい街歩き」の会。

集まったメンバーは、PTAや婦人学級などで知り合った友人達だった。手持ちの着物を来て集まり、街を歩いてランチやお茶を楽しむ。コロナ禍も歩くことを続け、今回で16回目。

 

着物で街を歩く、ただそれだけなのに普段とは違う時間が流れ、声をかけられたり、写真を撮られたり、思いがけない出会いがあったり…始めた当初には思いもよらなかった出来事が起こった。

 

 

 

「今」にフォーカス

 

以前からそれぞれの得意を発揮して、着付け、和太鼓、篆刻などのワークショップや、バザーの売上金を被災地に寄付するなどの活動をしてきた。着物を着るようになってからも展覧会など話題のスポットに一緒に出かけたり、おしゃべりの中からアイデアが生まれ、ゆるりと実行される。自然と話題は「今興味があること」に。

 

ルールを決めたわけではないが、病気や家族の話は滅多に出ない。同級生の子を持つ間柄で、お孫さんがいたり親の介護をされていたりと、共通の話題があっても、それより今度行きたい場所、見たいもの、知りたいこと、助けたい人、そんな話題へと心が向いていく。

 

 

 

 

今日のお召し物

 

洋子さんはこの活動を「とても楽しい」と明るい笑顔。最初は洋服で参加していたが、ネットオークションで安価に紬の着物を手に入れ、素敵に着こなすように。シックな着物に蝶々柄の帯や刺繍のある足袋を合わせおしゃれを楽しんでいる。

 

 

着付けの仕事をしていた愛子さんはみんなの先生。自宅で着てきたみんなの着こなしを絶賛しながらちょっと手直し。着崩れしにくく苦しくない着方のコツを伝える。この日はシックな母の着物に大胆な柄の帯を合わせ、「流石!」とみんなを唸らせた。

 

 

真智子さんは生まれながらの結城っ子。可愛い娘時代から関わる家業は和菓子屋さん。薬局だった蔵を改装し、古民家カフェも営む。

「亡くなった母の着物を箪笥の肥やしにしない様に慈しみながら、着物ライフをこれからも楽しんでいきたいです。着付けを忘れないように、出来るだけ毎日着て仕事に生かしたいと思います。」と語っていた。

 

 

 

母から譲り受けたという、いしげ結城紬を着て参加していたのは由美子さん。「いしげ(石下)」というのは結城より南の常総市にある地名で、そこでも紬が古くから生産され、シャッキリした風合いと現代風のデザインで若い人にも人気なのだそう。結婚して結城に移り住んだ記念に水戸のお母さんに反物をプレゼントしたのが回り回って自分の手元に戻ってきたという思い出を語ってくださった。ウクライナに心を寄せて、小物を青と黄色に。

 

 

 

幸子さんは以前、問屋さんに勤めていたという目利き。この日は40年来愛用しているというグレー地に80亀甲、飛び柄の目を引く結城紬で現れた。帯を変えながら、若い時から着ている紬。幸子さんの個性と融合し、今もとてもお似合いである。

 

 

この日は欠席だったのは純恵さん。書家で篆刻もされる。夫も書家で結城酒造のラベルの「結 ゆい」の字を制作した方なのだそう。

 

若い人にも着てほしい紬の魅力

 

個性豊かなメンバーに声をかけ、会を盛り上げているのが和子さん。群馬の伊勢崎市出身。同じく群馬出身の夫と結婚してから結城に移り住んだ。群馬も着物文化が盛んな地で、もともと興味はあったが、子どもが小学6年生の時の課外授業で結城紬を一緒に体験し、その軽さに魅了された。

この日選んだのは、2019年、ユネスコ無形文化遺産登録10周年イベントのショウで着たという思い出深い結城紬。村九デザイン、天覧織女(天皇陛下の前で織ったことがあるの意味)の永井千代子さんが織った反物を、縫った人もわかっているという由緒正しい紬である。

薄い紫がかった桃色の地に少し濃い目の飛び柄が織り込まれている。結城紬は高級品だが、紬はもともと普段着。「結城紬は着ると脱ぎたくなくなる」ほど着心地が良いそう。「もっと気楽に若い人にも着てほしい」とそんな想いが街歩きにつながっている。

 

 

 

 

結城酒造の復興を応援

 

取材に伺ったこの日は、結城酒造の火災から間もなく1ヶ月が経とうとしていた。楽しいおしゃべりの合間に、結城酒造の復興が話題に上がる。カラフルなラベルが印象的な日本酒「結 ゆい」は、焼け落ちた蔵の中の冷蔵庫から瓶の状態で発見され、近隣の武勇という蔵元の冷蔵庫に預けられた。ラベルも全て焼けてしまい、急遽白黒印刷したラベルを貼り、定価に500円を乗せて復興を支援したいという人に販売されている。和子さんの夫の清さんは普段はお酒をほとんど飲まないが、四合瓶を箱で買い親しい人に配っている。和子さんは1口1,000円の寄付を仲間に呼びかけた。すでに120口以上集まったという。1ヶ月経ち、少し落ち着いた結城酒造に届けに行こうと計画している。焼けた蔵の片付けもほぼ終わり、煉瓦の煙突だけがシンボルとして残った。失って知る貴重な地域の記憶である。

 

 

半日同行させていただいたが、とても楽しいひとときだった。地域を深く知る人とのおしゃべりは、今まで見ていた風景を一変させる。結城酒造の復興を、少し遠くからであるが見守っていきたい。

 

 

ききて:小堀幸子/撮影:細川夏津稀

 

「しろうと先生」とは